青苗
奥 尻島の南端に位置する大きな集落で、1993年7月12日22:17、奥尻島に近い震源地で発生したマグニチュード7.8の北海道南西沖地震で壊滅したと ころです。津波は藻内で高さ29mを記録し、この青苗でも10mを越える津波に襲われました。この北海道南西沖地震では死者201名、行方不明者29名を 出し、その被害のほとんどは当時人口4,500人程度の奥尻島で、島の中でも最南端で三方を海に囲まれた青苗地区の被害が特に大きかったのです。青苗だけ で、地区の人口1,401名、世帯数504に対し、死者・行方不明者109名、負傷者129名、家屋全壊400戸という被害を出し、なんと14人に1人の 割合で死者を出した未曾有の大被害となったのでした。現在は津波対策として見上げるばかりの防潮堤に囲まれ、土盛りをしたところに家が建てられています。 青苗地区でも青苗岬周囲は緑地広場として整備され、広場内には災害でなくなられた198名の名前が刻まれた慰霊碑「時空翔」が建立され、岬の先端には高さ 19mの巨大な碑、「徳洋記念碑」が建てられ、さらに2001年に「奥尻島津波館」がオープンし、震災から復興までの様子を伝えています。地震の被害から 復興した今、魚介を満載している漁船、大漁に沸く埠頭、活気あふれる港町の風景がここにはあり、かつての地震の爪痕は見られませんが、人々の心には強くそ の時の情景が刻まれている事と思います。写 真は2007年8月11~14日、9月20~23日と中標津から2回訪問、20kgあるバックパックを背負って野営しながら徒歩で奥尻島を周った時のも の。1回目は8月12日、藻内海岸から日帰り観光で歩いてやってきて、食堂「潮騒」でうに丼定食を食べ大満足。青苗岬で津波館を見学したけど、あまり時間 が無く、隅々まで見れなかったのは残念だった。2回目は就職のため奥尻町役場のNさんに連れられ、面談にやってきた。面談の前にまたも食堂「潮騒」でイカ 定食で満腹に。面談では、個人的に興味のあった葡萄栽培とワイン醸造に携わりたいと伝え、葡萄畑を実際に見せてもらったりもした。幌内海岸から神威脇まで 歩き、そこからバスでこの藻内海岸へ。テントを設営して荷物を置き、青苗へ徒歩で日帰り観光をした。合計で14kmほど歩き、夕方戻ってきて、沈む夕日を 眺め、満天の星空に包まれ、素晴らしい一夜だった。藻内海岸にも川が流れて海に注いでいて、この水を利用できるのはありがたい。奥尻島はヒグマがいないば かりか、キツネもいないため、エキノコックスの心配をする事無く川の水が利用できる。渓流釣りの出来る川があり、水に不自由しない島というのはあまり無 い。そんな奥尻島に乾杯!
お食事処「潮騒」うに丼定食
おすすめのお食事処「潮騒」「潮騒」のうに丼定食2,000円
青苗港青苗港津波対策
奥尻港奥尻港の津波対策
奥尻島津波館時空翔
奥尻島津波館時空翔
徳洋記念碑奥尻島津波館内部
徳洋記念碑奥尻島津波館内部
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