中標津町と羅臼町の合併による新市名称は「東知床市」?!
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わが町、中標津町は羅臼町と飛び地合併を検討しています。でもそもそもどうして合併をしなければならないんでしょう?外国には人口数人の村もあると聞きます。行政の効率化とは聞こえの良い言葉ですが、果たしてそれが魅力ある町作りにプラスの要因を及ぼすんでしょうか。農業だってなんだってそうだけれど、規模が大きくなればなるほど魅力は薄れていく気がします。分業化したり機械化すれば効率は上がるけれど、働いている一人一人が出来上がる製品や会社に対して愛着が薄れるように。自分自身、中標津町民として誇りを持ち、中標津町を愛しているつもりでいます。その中標津町がなくなってしまう・・・。残念でなりません。しかも飛び地であればなおさら合併のメリットは薄れるわけで、もし合併するのなら、中標津町と羅臼町の間に挟まれた標津町を無視してはいけないと思います。そもそも中標津町が標津町から分村した歴史を認識していれば、標津町をないがしろにしたり、吸収してしまえという方が無理があるわけで。これから先、一体どうしていくつもりなのだろうか・・・。日本も国として合併をすすめているけれど、個人的にはあまり賛成できません。まあ地方交付税に依存しすぎた罰かもしれませんね・・・。 中標津町の人口は2万4千人強で羅臼町が6千人強。合併特例法により3万人以上で市に昇格できるわけです。ところでどうして村から町へ、町から市へとなることを昇格と言うのでしょう?どうしても町の魅力としては降格だと思ってしまいます。逆に分村して何かに特化した村作りをした方が、住民の意識も高まって良いとまで個人的には思います。地方交付税が減らされる云々と言ってますが、無いなら無いで何とでもなるのに、何とかしようという気持ちが薄いと思わざるを得ません。素人的な考えで申し訳ないけれど、金が無いなら使わなきゃいいだろうと思ってしまいます。単純に住民の負担を増やすのではなく、行政側も改革し、魅力ある町になるのであれば住民は納得して負担するのではないでしょうか。もしたった5人しかいない村だったら、その5人が個人的にお金を出し合って何とか運営するように、住民が積極的に町作りに参加しようという意識を植え付けないと、目先の利益だけで合併したって結局同じ事だと思うのです。そのためにはやはり住民が住民である事に誇りを持てるよう、行政側も町のあり方を考えてみて欲しいですね。 さてその中標津町と羅臼町の合併協議会にて、先日2004年9月14日に新市の名称が「東知床市」と決定しました。合併そのものに対して疑問を抱いているのに、さらに合併後の名称についても疑問を抱く結果になりました。「知床」という名称を使う事は、協議会内で全会一致で採決されたそうです。東をつけたのは単なる斜里町への配慮だとかだそうで、冠のついた浅ましい名前に落ち着いてしまいました。知床のネームバリューであったり経済効果を見越しての名前でしょうけど、市町村名にそれを使うのは素直に喜べないのです。中標津空港も東知床空港と改称されるのでしょうか。新市の名称については中標津町民として恥ずかしい限りであり、第三者から中標津・羅臼の事をけなされてもじっと耐えるしかないでしょう。中標津町も羅臼町も大好きで、日本で最も魅力的な町同士だと思ってるのに、この名前のおかげで端っから魅力を否定されてしまう。知床が悪いというよりは、知床という名称では中標津や羅臼の魅力を伝えられないという思いが強いのです。まあ羅臼は知床でも構わないかもしれません。でも中標津は知床ではなく、広大な牧草地と格子状防風林が美しい独特の雰囲気をもった町です。多くの馬や牛がのんびり草を食み、牧歌的で日本離れした雄大さを持っています。知床も魅力的だけれど、中標津は別の魅力を持った土地なんです。周囲に大都市があるわけでもないのに、50年以上人口を増やし続けてきたという事は、それだけ魅力ある町なんでしょう。結局「知床」という名称を推進する人達には、「中標津」という土地に思い入れが薄いんでしょうかね。全国公募したら知床という名前が上位にくるのは当たり前の事であり、町の将来を本当に思うなら、もっと地元の意見や少数派の意見も考慮にいれるべきだと思います。合併もきっと住民投票もせず、議会で承認されて終わってしまうんだろうな・・・。一住民としてはそんな大きな事にほとんどタッチできないという事に、とても寂しく思いますね。 この合併により、中標津町は「市」と「知床」という二つのブランドを手に入れ、羅臼町は危機的財政状況を救われるわけです。人間にも言えることでしょうけど、ブランドを手に入れたがるという事は自分が無いという事です。周囲に流され、周囲が高く評価するものを何の疑問も持たずに評価する。そのブランドを身に纏う事で、自分自らもブランド化出来るのではという妄想にとらわれている。ブランドの「品」ではなく「名前」が欲しいだけなのかもしれません。今の中標津町も同じような気がします。このままではブランドと共倒れするのではないかと心配しています。中標津町も羅臼町も好きであり、好きだからこそその未来を憂うわけですけどね・・・。 ※その後に行われた住民投票によりこの合併は反対多数により断念され、中標津町、羅臼町はそれぞれ今までどおり独立した町としてやっていくことになりました(2005.02.24) |