故郷、愛媛・・・’2005.9.9〜2005.9.13
 祖父の容態が悪いとの実家からの電話があり、急遽7年ぶりに帰省する事に。祖父はもう先が長くない事は明らかだったものの、一番お世話になった人の一人でもあり、自分の姿を見せないわけにいかない。不幸中の幸い、まだ意識があり自分の存在もなんとか分かってもらえたようだった。今回の帰省にあわせて故郷である愛媛の良さを再認識する旅をしようと思っていた。生まれてから高校卒業までいたわけだけど、現実まったく愛媛を旅した記憶はない。今こうして愛媛を離れ、北海道に定住したからこそ見えてくる魅力がたくさんあった。愛媛、素晴らしい場所です。行った事がない方は是非行ってみて欲しいですね。

9月9日 中標津〜愛媛松山
会社を午後から早退していざ実家のある愛媛へ。
中標津空港から羽田を経由し、松山空港に到着したのは18時15分。
空港へは母が迎えにきてくれており、空港の売店で早速愛媛の名物「じゃこ天」をお買い上げ。
じゃこ天とはいわゆる一般的な天ぷらではなく、じゃこ(雑魚)のすり身を油で素揚げしたもの。
この空港で売っているじゃこ天は「忠八じゃこ天」という名前で、ライト兄弟が有人飛行を成功させる12年前、
世界で初めて模型飛行機による動力飛行実験に成功した、二宮忠八の名を冠して四国を型どったじゃこ天なのだ。

二宮忠八は愛媛県八幡浜市の出身で、カラス型飛行機を作成して無人飛行に成功、
その後、有人飛行を目指して玉虫型飛行機を作り上げようとした最中、ライト兄弟に先を越されています。
軍に上申した時に却下されたり赤痢にかかったりといった事がなければ、
この玉虫型飛行機が世界初の有人飛行機となったのかもしれません。
というわけで松山空港には、その玉虫型飛行機の模型がターミナルの中に吊り下げられているんですね。

で、空港を後にして「ダイニング樹庭」というところで夕食をとって実家へ到着。
樹庭ではなんとタイミング良く映画版「がんばっていきまっしょい」の主題歌、「オギヨディオラ」が流れていた。
愛媛の景色とこの曲は抜群に合う!
容体が悪いと聞いていた祖父は、私の姿を見て一応誰だか認識はしてくれたようだ。
ただ記憶が断片的になっているようで、しっかりした事を言ったかと思うと、???な事を言う事も。
でもとりあえず話が出来て良かったかな。
間にあった、って感じでした。

9月10日 松山(三津)〜大洲〜松山
早朝5時頃、牛乳配達のガチャガチャという音で目が覚めた。
まだあったんだ・・・牛乳配達って。
そのまま目が覚めてしまったので実家周辺の三津浜を散策。
ゆっくりと三津浜を歩いた記憶ってあまりなくて、
古い建物が狭い道路沿いに立ち並んでいる風景って、とても良いものだなぁと感じた。
子供の頃は何の興味もなかったのに、古き良き情緒を感じる様になるなんて不思議なものだ。

朝早くから鉄道を利用して大洲市へ行く事にした。
大洲は伊予の小京都、伊予大洲藩6万石の城下町。
大洲盆地を流れる肱川沿いが市街地になっていて、江戸時代〜明治時代の建物が多く残っているそうだ。
鵜飼い、臥龍の渡し、いもたき、が夏の三大風物詩。
テレビドラマ「おはなはん」の舞台であり、映画「がんばっていきまっしょい」の主人公悦子の家がある。
肱川沿いに大洲城を眺めながら街中へと歩いていく。
大洲赤煉瓦館でお土産(タツミ醤油、もち麦味噌、大洲城ジグソーパズル、竹のおもちゃなど)を買ったり、
別館でやっていた「懐かしのコレクション展」を観たりした。
この建物、明治34年に大洲商業銀行として建築されたもので、イギリス積みの煉瓦構造になってるそうだ。
次におはなはん通りを通過して臥龍山荘へ。
臥龍山荘とは河内寅次郎が構想10年工期4年を費やした、臥龍院を始めとする借景庭園。
その中にある不老庵はなんと生きている木をそのまま柱にしている建物。
生きているから生長すれば枝分かれもするのに、うまく建ててあるなぁと感心しきり。
匠の技です。
大洲市街をぐるっとまわって殿町商店街に戻ってきて、「がんばっていきまっしょい」の悦子の自宅になっていた、
ホワイトクリーナーというクリーニング屋に寄ってみたりして、再び鉄道にて松山に戻ってきた。

夜、おじさんに連れられて飲みに行く事に。
「割烹なかの」「居酒屋なかむら」「ライブハウスJAM」「お好み焼き品川」とはしご。
あと1件行ったけど記憶にあらず。
おじさん以外にも知り合いが3名合流し、和食のコース、おでん、馬刺、ヤキソバと、食べた食べた。
ライブハウスではおじさんがドラムを叩く姿を披露され、なかなか楽しい一時だった。
この日の夜はおじさん宅に宿泊。


9月11日 松山(道後)
昨晩飲み過ぎて一日中二日酔いに苦しんだ。
それでもお土産を選んであげるからという母の誘いで、松山市街の三越へと買い物に行く事になった。
六時屋のタルト、スダチ1箱、「瀬戸の金太郎」という焼酎、みかんの花の蜂蜜などを買ったんだけど、
特にお勧めなのは「瀬戸の金太郎」。
これは愛媛県松山市にある桜うずしお酒造が造る、鳴門金時を使った芋焼酎で実にうまい。
昼食は母の知り合いのNさんと合流して中華だったけど、気持ち悪くてほとんど食べられず残念・・・。

夜、ようやく復活し、道後温泉へ行く事にした。
歩いて伊予鉄道三津駅に行き、松山市駅で伊予鉄道坊ちゃん列車に乗りかえ、味わいのある道後温泉駅で降りる。
そして5分程歩き久々にやってきた道後温泉本館、その美しさにただ佇んでしまった。
道後温泉本館は「千と千尋の神隠し」のモデルとされたそうだが、本当にまさにその世界なのだ。
現世にこんな温泉があるんだと驚くだろう。
そもそも道後温泉は、日本書紀や万葉集にも記されている3000年の歴史を誇る日本最古の温泉で、
聖徳太子、夏目漱石らに愛された。
有名な本館は明治27年に建てられたもので、木造三層楼の城郭式建築。
屋根には振鷺閣(しんろかく)という望楼があり、1日3回刻太鼓の音が温泉街に響きわたる。
1階は砥部焼きの陶板壁画があり銭湯感覚で利用できる神の湯、
2階の大広間休憩室または3階の個室とともに利用できる霊の湯がある。
休憩室利用の際に浴衣の貸し出しと和菓子とお茶のサービスがあり、
個室利用の場合は坊ちゃん団子もついてくる。
また本館東には皇室専用の又新殿(ゆうしんでん)があって見学はできる。
この神の湯入浴料はわずか300円、営業時間は6〜23時。
死ぬまでに一度は訪れて欲しい場所です。

温泉自体は道後館の入浴券を知り合いに頂いていたのでそちらへ入った。
湯上がりに道後商店街を歩き「いよかんソフトクリーム」を食べ、
そして竹屋というお店で道後名物「湯かご」を買った。
湯かごというのは道後温泉に入浴に行くときに使う、タオルや石鹸などを入れるさげ手のついた竹かごの事。
松山は昔から伝統的に竹を使った道具が多く、この湯かごも青湯かごと白湯かごがあって、丁寧に竹が編まれたものだ。
青竹を使って竹らしさを強調した青湯かご、繊細で柔らかな感じのする白湯かご、 どっちにするかはお好みで。
道後に来たら是非お土産にどうぞ。

9月12日 松山(三津〜港山〜梅津寺)〜大西(鴨池海岸)〜今治(しまなみ海道〜野間馬ハイランド)〜松山(道後〜石手)
朝早く起きて近所の三津浜港で運行している松山市営渡船に乗り、対岸の港山・梅津寺方面へ向かう事にした。
この渡船、三津浜港側と港山側の50mをつなぐ交通路として、地元の人々にとても重宝されており、
3人の船頭さんが年中無休でがんばってくれているんです。
乗船料金は無料で、自転車やバイク、犬などの同乗もOKという全国的にも珍しい市営の渡船、
これもいつまでも残っていてほしいですね。

港山側にわたってまずは港山駅を撮影。
そして再びちょっと戻って脇の小道に入り、しばらく進むと松山東高校のボート部艇庫の脇に出て、
そのまま砂浜に出る。
松山東高校は私の母校であり、ボート部はこの艇庫からボートをだして海へと出て行くのだ。
そのまま砂浜を歩いて梅津寺駅へ。
梅津寺駅は東京ラブストーリーのロケ地であり、あの有名な「バイバイ、カンチ」というハンカチが結ばれた駅である。
その名残で今でもたくさんのハンカチが結んであった。

ここからさらにずっと北へと向い、旧大西町にある「鴨池海岸」へ。
鴨池海岸は地元の人も知らない無名の海岸だけれど、
「がんばっていきまっしょい」の挺庫があった場所で、 悦子達がボートの練習していた海岸。
すごく綺麗で人気の全くない場所で、しばらく砂浜に座り込んでボーッと景色を眺めていた。
沖に浮かぶ島も美しく、 きっと夕日が沈む頃はものすごく美しいに違いない。

次に向ったのはしまなみ海道。
愛媛県今治市〜広島県尾道市を10の橋で結んでいる。
この橋は大島、伯方島、大三島、生口島、因島、向島を経由し、
自動車だけじゃなくサイクリングロードを併設してるのが特徴。
写真は糸山公園からの眺めで、世界初の3連吊り橋となる来島海峡大橋と島々が美しかった。

次に同じ今治市にある「野間馬ハイランド」へ。
日本の在来馬8品種の内の一つ野間馬を見れる公園で入園は無料。
やっぱり同じく在来馬である道産子と大して変わらないなというのが率直な感想。

松山に戻ってくると、昨晩に引き続き道後にやってきてまずは伊佐爾波神社へ。
伊佐爾波神社は松山の八社八幡の一番社。
祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功天皇、三柱姫大神で延喜式内社。
社伝によると仲哀天皇と神功天皇が道後に御来浴の行在所跡に建てられた神社で、社殿はなんと八幡造りになっている。
ちなみに伊佐爾波神社に続く石段は、「がんばっていきまっしょい」の悦子達がトレーニングをした場所でもある。
伊佐爾波神社の裏手の山を越えて、石手寺に抜けられないかとポクポク歩く。
すると参拝道という立て札が立っており、完全に山道になってしまった。
しばらく進むと猫の額ほどの段々畑が。
とっても懐かしい里山の風景を見つけて嬉しくなった。
その山道を抜けると無事に石手寺の裏にでた。
ここから地底マントラを抜けると石手寺に出られる。
子供の頃、石手寺にてかくれんぼや鬼ごっこをよくやっていて、
この地底マントラは鬼から逃げる格好の場所だったのだ。
薄暗い洞窟にはたくさんの仏像が列んでいて、なんとも言えない雰囲気だ。
地底マントラを抜けるとそこは石手寺。
四国霊場第51番札所であり、四国遍路のルーツともいわれる衛門三郎ゆかりの寺。
728年に伊予大領越知玉純が創建し、本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、他、重要文化財の宝庫。
汗だくになりながら温泉街へと戻ってきて、今度は本館の温泉に入って汗を流した。
温泉を後にし、放生園(道後温泉駅前)に立つ大きなからくり時計を眺める。
このからくり時計は8〜22時の間、30分おきに、夏目漱石の小説「坊ちゃん」のキャラクターが現れ踊る。
思わず見入ってしまうこと間違いなし!

いざ実家へ帰るにはまたも坊ちゃん列車に乗らなくてはならない。
松山といえば坊ちゃん列車というくらい市街地を縦横無尽に走っている路面電車で、
伊予鉄道が運営していて路線は4つある。
この坊ちゃん列車が走り始めたのは明治21年、日本初の軽便鉄道として営業を開始し、
民営鉄道として伊予鉄道は南海鉄道に次いで2番目に歴史がある。
他に伊予鉄道は郊外電車も運営していて、愛媛ではJRの影がとても薄い気がする。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」には、この坊ちゃん列車をマッチ箱のような小さな汽車とたとえられ、
当時の復刻モデルであるSL風の列車も運行しています。
今回はその復刻版坊ちゃん列車にわざわざ乗ったんですね。
ちなみに普通タイプの坊ちゃん列車は150円でどこまででも乗り放題、
SLタイプの坊ちゃん列車は300円で乗り放題です。

夜は久々に弟達と食事を共にした。
弟もいつの間にかしっかりしていて、今やうどんチェーン店の店長を務めている。
将来、独立してうどん屋をやりたいと頑張っていると聞いて、兄としてなんだかちょっと安心した。


9月13日 松山〜中標津
帰りの飛行機はたまたま知り合いからマイルを還元してもらえ、チケットを得ることができた。
ただ残念なことに中標津便のあるANAではなくJAL。
羽田経由で新千歳空港に着いたらいったん札幌へ出て、夜行バスで中標津に帰ることに。
愛媛は素晴らしいところだったけど、中標津に戻ってくると、やっぱりホッとするな・・・。

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